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【映画】不屈の精神で米軍に対峙した瀬長亀次郎の半生を映画化

2017年7月21日

那覇市長、衆議院議員として沖縄県政を率いた故瀬長亀次郎の半生を描いたドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が、8月26日(土)から東京・ユーロスペースほかで公開される(沖縄県内では、8月12日<土>から那覇市の桜坂劇場にて先行公開スタート)。

瀬長は、1956年12月の那覇市長選で当選、1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選し、以降7期連続当選を果たした政治家。アメリカ軍に対して毅然と意見を主張し、攻防を繰り広げる姿が、沖縄県民の絶大な指示を集めた。

同作は、2016年8月にテレビ番組「報道の魂」(TBS系)の1時間スペシャルで放送されたドキュメンタリーに、追加取材、再編集を施して映画化された。JNNに保存されていた貴重な未公開映像やインタビュー、そして、アメリカ取材を交えて描く。

物語は瀬長の少年時代からスタート。現在の豊見城市(とみぐすくし)に生まれた瀬長は、家に2発の爆弾を投下され、一家でやんばるへと疎開する。

そんな戦争体験を経た瀬長は、戦後、1950年に沖縄群島知事選挙に出馬した際、ある講演で有名な言葉を残す。「この瀬長一人が叫んだならば50m先まで聞こえます。ここに集まった人々が声を揃えて叫んだならば全那覇市民に聞こえます。沖縄70万県民が声を揃えて叫んだならば太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができます」と、力強く叫んだ。

1952年の第1回立法院議員総選挙でトップ当選を果たすと、その後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否をしたことで、瀬長は占領軍からにらまれることになる。

その後、1956年に那覇市長に就任。それを受けて、占領軍は出資していた琉球銀行による那覇市への補助金と融資を打ち切り、預金を凍結、市政運営の危機に陥れる。その処置に対して、那覇市民は瀬長のために「納税」という行動に出る。瀬長当選前に77%だった納税率がその当時は97%にもなり、自主財源での市政運営ができるようになる。

1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選した後も、佐藤栄作首相に堂々と沖縄の窮状を訴えるなど、その政治姿勢は終始一貫していた。

そんな瀬長を沖縄県民が熱い視線とともに支持していたことは、数々の証言者のインタビューで確たるものであったことが十分に伝わってくる。

数回の投獄や島流しにも屈せず、終始沖縄と県民のことを考え続けた瀬長のことを、同映画の監督・佐古忠彦氏は、たくましく根を張って揺るがないガジュマルの樹にたとえている。

「戦争は終わったが、地獄は続いていた」という瀬長の言葉は、悲しいかな、基地問題が残る現在の沖縄にも響く言葉になってしまっている。ただ、瀬長が貫いた「不屈」の精神は、現在の沖縄県民に通じていると感じさせる作品に仕上がっている。

『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
2017年8月12日(土)から沖縄・那覇「桜坂劇場」にて先行ロードショー
2017年8月26日(土)から東京・ユーロスペースほか全国ロードショー